福岡家庭裁判所小倉支部 昭和39年(家イ)150号 審判 1964年7月28日
申立人 田中玲子(仮名)
相手方 福岡地方検察庁小倉支部
検察官 青山利夫
主文
申立人が本籍北九州市小倉区大字篠崎○○○番 地最後の住所本籍に同じ亡田村市郎(明治二七年六月二六日生)の子であることを認知する。
理由
当庁昭和三九年五月二二日受付の本件申立の要旨は、申立人の母田中典子と亡田村市郎とは昭和一八年に夫婦関係を結び同二二年まで継続し、その間上記両者間に申立外田村春子(昭和一九年九月一五日生)および申立人田村玲子(昭和二二年一二月二二日生)の両名が出生したが、婚姻届出がなされなかつたため申立外田村春子および申立人の両名は、嫡出子の身分を取得することができなかつた。しかし申立外田村春子については、出生と同時に亡田村市郎が認知し同人の戸籍に入籍したが、申立人については、亡田村市郎が申立外田村良子と昭和二二年二月四日に婚姻し、両者間に長男和夫が出生したりしたため亡田村市郎に認知を得る機会がなかつた。その機会を待つうち、昭和三六年六月九日に田村市郎が死亡したため、検察官を相手方として本件申立に及んだというのである。
そこでまず、検察官が本件調停の相手方となる適格を有するか否かについてて考えてみると、互譲や私権処分の合意が行なわる調停手続に、検察官の地位や性格が親しまないという実質的理由と、検察官は特別の規定がある場合にのみ当時者適格を有するという形式的理由から否定する見解がないでもないが、家事審判法第二三条は、人事訴訟手続法の簡易手続を規定した特別規定であつてその合意は簡易手続で行うという手続法上の合意である。したがつて、その合意は、一般調停手続でなされる合意とは異質のものであり、家事審判法第二三条は終局的には審判という裁判形式で終結するものであるから、実質的には認知訴訟と何等異なるところのないもので、相手方とすべき者が死亡した後は検察官を相手方として申し立て得るものと解する。又、検察管は、公益の代表者であり、公益に関係ある認知調停事件において、裁判所の職権探知に協力する立場からも当事者適格を認めるべきものである。(近時この立場に立つ裁判例は、福島家裁昭和三六年(家イ)第一五四号昭和三六年一二月二二日審判、家庭裁判月報第一四巻第九号一〇一頁、福島家裁平支部昭和三八年(家イ)第六号昭和三八年六月二四日審判、家庭裁判月報第一五巻第一〇号一三九頁に見ることができ、昭和三八年二月四日民事甲第三五〇号法務省民事局長回答により戸籍訂正が受理されている。)
したがつて、検察官を相手方とした本件調停申立には、何等違法な点はない。
昭和三九年九月一四日開催の調停委員会において、上記事実関係について争はなく、上記主文に相当する審判を受ける旨の合意が成立したので、当裁判所は、被審人田中典子を審問し、当庁家庭裁判所調査官高橋一馬に事実調査をせしめ、その他必要な事実調査をなした結果その事実関係を認める。
よつて調停委員入学虎之助同古賀田鶴子の意見をきき、本件申立を正当と認め主文のとおり審判する。
(家事審判官 中園原一)